人並みであること【魔法先生ネギま!】
夏休みを間近に控えた、七月のとある放課後。平時よりもどこか浮ついた空気が流れる校舎には、女子学生たちの甲高い歓声が響いている。
それにわずらわしさを感じながら、エヴァンジエリン・AK・マクダウェルはふらついたように自らの席を立った。朝からの体調不良に悩まされながら授業には出席はしてみたものの、まったく小娘どもの鳴き声のせいで悪化してしまったようだ。真祖たる自分が、なんとも情けないことだと自嘲しつつ、従者である茶々丸を呼ぼうと顔を上げる。
「師匠、気分が悪いみたいですけど、夏風邪ですか?」
その矢先に問いかけられて、エヴァは気だるげに視線を巡らせた。その先に、弟子であるネギの心配そうな表情を浮かべた顔がある。おろおろとするな、みっともない。それでも私の弟子か。そんな師としての思いと、気遣ってくれている愛弟子の姿にどことなく嬉しさのようなものが入り混じる。体調不良のいまだからこそ、それはなおさらなのだろう。不安定な自身に喝を入れるかのように、彼女は鼻声に精一杯の覇気を込めて見せると、不敵な笑みをたたえた。
「何をバカな。最強の魔法使いにして不死の吸血鬼たるこの私が、たかが風邪ごときに屈するとでも思っているのか?」
「で、でも……今の師匠は普通の女の子ですし――」
「いらぬ心配をするな。ぼーやはさっさと仕事を終わらせて来い」
そう投げやりに告げると、エヴァはふらつく体をこらえながら、自宅へ帰るべく足を動かした。
◇◆◇◆◇◆
とは言ったものの。
「大丈夫ですか、マスター?」
「大丈夫なように見えるか、茶々丸」
「いいえ、まったくそうは見えません」
「……なら聞くな、バカ者」
家に帰り着くなりベッドに横たわったエヴァは、メイド服に身を包んだ茶々丸のそんな質問に対してうなり声を上げた。体温計を持ってくると言う茶々丸の申し出は無視しておいたほうがいい。熱ならあるのだ。そんなことは分かっている。自分の体温を見たとき、気が弱くなってしまうほうが心配だ。
そんなことを思い至って、エヴァは弱々しく肩を落とした。気が弱くなるとは、誰の言葉だ? 吸血鬼の中でも最強を誇る自分が、なにを弱気になることがある。奮い立たせるようにして不遜な表情を作ろうとするが、身体は言うことを聞かない。それなら病院にいけということにもなるが、それこそ冗談ではなかった。医者は嫌いだ。そもそも、吸血鬼が医者に診てもらうなど、三流のホラーコメディではないか。
「やはり、今日は休むべきだったのでは……」
「……むぅ」
茶々丸の言うとおり、無理をしてまで出席したのは失敗だったかもしれない。サウザンドマスター・ナギにかけられた登校地獄の呪いも、病気であれば無効化される。それは分かっていたし、何よりも中学生の授業を齢ウン百歳のエヴァが受ける必要などない。
「そうなんだ、茶々丸。別に授業に出たいわけじゃあないんだがな」
だったらなぜ、と聞かれると困るのだ。ただ、なんなのだろう。あの愛弟子の姿を見ていたい。そういう感情がないわけでもなかった。ネギが弟子となってから、退屈なだけだった学校も楽しく感じられるようになってきている。変化している自分に戸惑いを感じるのは、身体が弱っているからだろうか。
「……マスター」
「か、勘違いするなよ、茶々丸。きちんとあのぼーやが職務をまっとうしているか、それをチェックせねばな。師としては」
言い訳にしか聞こえない自分の台詞に少しだけ赤面して、ついでに機械の分際でなにか笑いをこらえようとしている従者の尻に蹴りを入れてやる。ああ、まったく。
「人間の体は面倒だな。それもこれも、あの馬鹿ナギのせいだ」
呪詛のようにうめく。
十五年前までは吸血鬼の真祖としてバリバリの現役だった彼女にとって、今の脆弱な人間の体は不便極まりないものではあった。空は飛べないし、病気に対する抵抗力も外見の年齢と同じ程度にまで低下している。
そもそも風邪など、力を持っていた頃には無縁のものだったのだ。自身の思い通りにならない体に苛立ちを覚えてしまうのも、考えてみれば無理のないことではあった。
「ですが、そのおかげでネギ先生と出会えました」
「……フン。それとこれとは話が別だ」
熱で高潮した鼻の頭を軽くかいて、つぶやく。
そういう方面から考えると、確かにネギと出会えたのはナギの呪いでこの学園に縛り付けられていたからだろうが――
(いや……それは違うか)
納得しかけた思考を自ら否定して、エヴァはゆっくりと肩を落とした。結果的に見たところで、そういう問題ではないのだ。物事は停滞を許さずに流れ続けている。その流れがたまたまここで巡り合っただけであって、ナギの呪いとの因果関係などあるはずもない。
もっとも、それを信じたいと思う自分がいないわけではなかった。
ナギを想い続け、その息子であるネギと出逢う。まるで運命のようではないか、そんなことも考えてしまう自分の愚かさに苦笑も浮かぶというものだ。これが運命だとすれば、自身が真祖として吸血鬼となったこともまた運命だと? 笑えない話だ。
ぼんやりとしてきた頭でこれ以上考えると倒れかねん、とばかりにエヴァは毛布をかぶった。
「マスター。ネギ先生がお見えになったようです」
唐突に、茶々丸が顔を上げて窓の外を見やる。ほう、とばかりに微笑を浮かべると、エヴァは重たい体を押して、潜り込んだばかりのベッドから這い出した。弟子の手前、無敵っぷりをしっかりアピールしなければならない――
と。
「んん……?」
ぐらりと体が傾いたかと思うと、彼女は顔面から床に激突して意識を失った。
◇◆◇◆◇◆
目が覚めた時にまず目に入ったのは、見慣れた少年――ネギの顔だった。いつも自信なさげではあるが、今日はどこか心配事を抱え込んでいるといった様子の表情。おそらく自分のことをきにかけているのだろうと考えると、どこからか満足感を覚えるから不思議ではある。
視線をずらすと、彼の隣には神楽坂明日菜の呆れたような顔もあった。
というか――
「なんでお前がここにいるのだ、神楽坂明日菜」
「なんでじゃないわよ、倒れてるから心配して看病してあげったって言うのに……まったく。それにエヴァちゃんってば、吸血鬼なのに風邪なんてひいてるわけ? イメージ崩れちゃったじゃないの」
「……やかましい。好き好んで風邪をひいたわけじゃない」
うなり声を上げると、体を起こす。
どうやらベッドの上に寝かされていたらしく、いつの間にか服も新しいものに替えられている。おそらくは茶々丸あたりが、汗を吸った下着や制服などと取り替えてくれたのだろう。
赤子のようにお着替えをさせられている自分の姿を想像して赤面すると、彼女は嘆息を落として見せた。
「まあいい。とりあえず、ぼーやの修行をするとしようか。さっさと『別荘』に入るぞ……」
立ち上がろうとする。が、高熱に侵された身体は、まるで彼女の意志とは無関係に動くことを拒否し続けていた。
「だ、大丈夫ですか? 師匠」
「……む……」
「その、修行のことなんですが、今日は――」
「そんなふらふらで何ができるってのよ。今日はゆっくり休んでなさいって。せっかく皆がお見舞いにきてくれてるのに」
「何を言っている。休息など不要……」
言いかけて、気付く。
この女は、今なんと言ったのだ? みんな、だと?
「あれ? エヴァちゃんもう起きたんやー。ちょっと待っててな、風邪にええお雑炊作るえ〜」
「エヴァンジェリンさん、お体の具合はどうですか? 烏族に伝わる秘薬を調合しておいたのですが……」
「お、おはようございますー。大丈夫ですかー? 玉子酒を作ってあるので、ぜひー」
「吸血鬼でも風邪はひくのですね。いえ、というよりも力を失っているからこそ、ということでしょうか。いずれにせよ、つまりは吸血鬼の肉体も人間のそれと生物学的な差はないということに――」
「ねーねーのどか。風邪の時って風呂に入れたほうがいいんだっけ、入らないほうがいいんだっけ?」
問いかけようとした矢先、ばたばたと階段を上ってくる音が聞こえたかと思うと、騒がしい声が響く。それに一瞬目を丸くして、エヴァはこめかみに指を当てて見せた。これでは、昼間の学校と大差ないではないか。
「なんだ、これは」
「マスターが風邪をひいたということで、お見舞いに来てくださったのです」
とは、壁際に控えていた茶々丸である。まるで気配を感じなかったが――それも当然だろう。彼女が高度なステルス機能を搭載したガイノイドであるという以前に、今の自分は十歳程度の少女となんら変わらない。ついでに言えば、風邪までこじらせているのだから。
「め、迷惑でしたか?」
ネギが肩を小さくして、恐る恐るこちらを上目遣いで見つめてくる。
「迷惑だ」
「ひっどいわねえ。でも、どうせ自分じゃなにもできないんでしょ? 今日はエヴァちゃんの看病をするってことで!」
言うが早いか、明日菜はネギを抱えて階下へと駆け下りていった。それに続いて、他の連中も同様に階段を下りていく。先ほどこのかが言った雑炊作りでも手伝うのだろうか。相変わらず階下からは少女たちの姦しい騒ぎ声が聞こえてきていたが。というか、なにを勝手なことをしているのだ、この小娘どもは。迷惑だと言っているだろうに。
半ば呆然としていたエヴァは、ふと気が付いて自嘲を浮かべていた。
「……奇妙なものだな」
「マスター?」
茶々丸が怪訝そうにこちらへ視線を向けているが、それは無視する。
……奇妙なものだ、確かに。
かつて闇の魔王とまで謳われ怖れられた自分が、このような少女たちの関係の中にあること自体が、すでに奇妙だった。それ以上に、そんな平穏を心地よいと感じている自分の感情にもまた、不思議な充足を覚える。
少なくとも、吸血鬼として生きた数百年という長い時間の中で、自らの体を心配してくれるような友人などほとんどいなかった。
むしろ、自身の首にかけられた賞金を狙って襲いかかってきた連中のほうが圧倒的に多い。もっとも、それは自身が重ねてきた過去の行いを考えれば当然ではあったが。
そんな業に終止符を打ち、彼女に呪を施したナギが言っていたことを思い出す。
(光に生きてみろ……か)
くだらないことだ。世界の真理は悪であり、闇なのだから。光にたかるのは羽虫の如き脆弱で怠惰な連中でしかない。それを自分は知っているはずだった。
それでも、これを心地よいと感じるのは、光に暖かさがあるからだろうか。
「どうかなさったんですか?」
「まあ、なんだ……これが人並みの幸せってヤツなのかもしれんな」
「……?」
きょとんとする従者に笑みを向けて、エヴァは再び毛布の中に潜り込んだ。
かつて幾百年願い続けながらも叶うことなく、もはや掴むことは諦めていた小さな幸せ。
それが今、これほどの身近にあるということは奇跡に等しい偶然だった。ナギ呪いがもたらした偶然……それを認めざるを得ないことを自覚し、エヴァはどこか皮肉げに微笑む。
(まあ、悪い気はせんしな)
看病してくれるというのならば、させてやろうではないか。特にお姉さんぶった神楽坂明日菜は徹底的にこき使ってやろう……ぱたぱたという足音と共に、ネギが再び階段から上がってくる。誰やらに指示をされて氷水とてぬぐいを準備してきたらしい。なるほど、ぼーやに看病してもらうのも悪くないか。そんなことを考えながら、エヴァはゆっくりと眠りに落ちた。